【小説】ねこミミ☆ガンダム 第5話 その1その日、天皇は、身分を隠して街頭で募金活動をしていた。老体から絞り出すように声をあげる。 「子どもの貧困対策にご協力ください」 今、日本では、既婚の男性がネコミミ女性をパートナーに選び、離婚するケースが増えていた。そのためにシングルマザーが激増しており、子どもの貧困対策が急がれた。 〈宮内庁主催〉――のぼり旗が夕ぐれにはためいた。 多くの人が行き交うなか、ひとりの少女が足を止めた。 山本英代だ。 朕はおどろいて目を見張った。バレないように平静を装う。 英代は、 「がんばってください」 と、募金箱に50円を入れた。 「ありがとうございます」 頭を下げる朕の顔を、英代はのぞき込もうとした。 その間、朕は頭を下げ続けた。 やがて、英代はいぶかしがるようにいった。 「どこかでお会いしたこと、ありませんか?」 朕はうつむきがちにいった。 「さあ……。いつも違う場所で活動しておりますもので……。その時に、お見かけしたかもしれませんね」 ふたりが話していると小型犬を連れた少女がやってきた。 英代が少女にいった。 「百合じゃん。散歩?」 「うん」 ふたりは同級生らしい。 英代は百合の連れた犬と遊びはじめた。 「ケネディ! 元気してた?」 百合は募金箱に500円を入れた。 「ケネディじゃない……」 「えぇー、いいじゃん、ケネディで。喜んでるし」 百合はいった。 「チン、お手!」 チンと呼ばれた犬は英代の右手に右前足を置いた。 「交代」 と、百合がいうとチンは今度は左前足をあげた。 英代は声をあげた。 「おお! かしこい!」 「そうでもない。小型犬だから」 「ねぇ、チンチンは?」 「チンチンはできないの」 「チンなのにチンチンできないんだ」犬の頭をなでながらいった。「今度、覚えようね! チン!」 天皇は走った。 その場に、どうしても居続けることができなかった。国家機密が根こそぎバレてしまうような、そんないたたまれない気がしていた。 臣民の善意が集まった募金箱がずっしりと重い。のぼり旗は置いてきた。 人々が、街を走る老人を奇異な目で見ていた。 朝。登校前。 英代は、均を迎えに家まできていた。 玄関で待っていると、リビングから均がかばんを抱えてあらわれた。 ふたりが出ようとしていると、ふいに均の父が階段をおりてきた。 均の父――凛音(りおん)はいった。 「英代ちゃん、いつも均を迎えに来てくれてありがとう」 「いえいえ」 均が頭を下げていった。「ありがとう」 「おじさん、腕はもういいんですか?」 以前、凛音は不倫相手と別れるところを英代と均に目撃されており、その翌日、右腕が折れていた。 「うん、なんとかね。英代ちゃんにはうちのことで面倒をかけたね」 「いいえ。じゃあ、行ってきます」 「いってらっしゃい」 外に出ると均がいった。 「英代、悪いんだけど、家族のプリミティブなことにかかわる質問は、今度からあらかじめ俺を通してもらえるかな……」 英代はこたえた。 「プリ……プリ? 私、均に聞きたいことなんてないんだけど……」 「うん、わかってる……」 リビングのソファーで凛音が書類を見直していると、洗いものを終えた妻の理沙がやってきた。 理沙はいった。 「腕はもういいんですか」 凛音はこたえた。 「傷つけてしまった心のほうが心配だよ」 理沙は目をそらした。 「最近は調子いいみたいよ。気を使って早く帰ってきてくれるから」 「僕や均のことで、理沙には心配ばかりかけるね」 凛音は腕の時計を見た。まだわずかに時間がある。 理沙はいった。 「今日は遅いの?」 「朝から支社で会議だ。タクシーを使わせてもらうよ」 理沙は凛音のとなりに座った。凛音の顔を見ながらいった。 「今日はなんの日?」 「……あ。15年……16年目だ!」 結婚記念日だった。 「ごちそうが待ってるからね」 「いつもありがとう」 凛音と理沙はたがいに顔を近づけてキスをした。 インターホンが鳴った。タクシーがきたようだ。 「じゃ、行ってくるよ」 凛音は、理沙に見送られながらタクシーに乗った。 タクシーが走り出した。 運転手はネコミミ族だ。小柄な体格。耳のついた帽子でわかる。マスクのせいで顔は見えなかった。 運転手がいった。 「きれいな奥さまですね」 「いやあ……」 理沙は一般的には美人といえる。悪い気分ではない。 「朝の忙しい時間にお見送りまでしてくれる。愛されているんですね」 「はは……。妻にはいつも苦労をかけてばかりで……」 「しかし、男なら1度くらい不倫したい、なんて思ったことはありませんか」 「え……? 」 唐突な質問。 凛音は不倫相手だったネコミミ娘のことを思い出した。 凛音はいった。 「あなたネコミミ族の人でしょう。そういうの、女の人なら嫌な気持ちになるんじゃないかな……」 「えぇ。よくわかります……」 ふいに予感があって、凛音は運転席のとなりにかかげられた運転手の顔写真と名札を見た。 名前は異なるが、写真の顔は2ヶ月前に別れた元不倫相手のネコミミ娘だった。 「お久しぶりね、凛音」 弾んだ声がいった。 運転手は、元不倫相手の〈アイーシャ・ミケ・ローリィ〉だった。 凛音はおどろきのあまり声をあげた。 「アイーシャ!? なっ、なんで……!!」 「言ったでしょ。私、あなたのこと諦めないって……」 凛音は言葉が出なかった。 「あなたを近くに感じたくって、この仕事を選んだの」 「ア、アイーシャ……」凛音は乱れた息を整えた。「僕たちの関係はもう終わったんだ……。もう君と会うことはできない」 「そんなの私には関係ない」アイーシャはハンドルを操りながらいった。 「聞き分けてくれよ……。僕には僕より大切な人がいる。僕が責めを受けるのはいいけど……」 「その大切な人に私は入ってないのね」 アイーシャの表情はうかがえない。が、その声は冷たかった。 「すまない……。仕事があるんだ。ここでいいから降ろしてくれ」 「もっとお話したいわ。しばらく会ってなかったから」 「ムリだよ……」 凛音は、職場に連絡を入れようと携帯端末を取り出した。 アイーシャはいった。 「携帯を捨てて」 「何を言ってるんだ……」 凛音が顔をあげると、アイーシャが肩越しに銃を向けているところだった。 「本気か!?」 「ふふ。冗談だと思う?」 アイーシャは奇妙なほど落ち着いている。 はじめて会った時は神経質な娘という印象だった。道に迷い、捨てられた子猫のように不安がっていた。そのアイーシャが、こんな大胆なことをするなんて……。 「早くっ!!」アイーシャは声をあげた。 「わ、わかったよ!!」 凛音は走る車の窓から携帯を投げ捨てた。 車は見馴れない住宅地に入った。古ぼけたアパートの前で停まった。 アイーシャはいった。 「ボロなアパートだけど、私以外の住人がいないから使い勝手がいいのよ」 凛音は、アイーシャに後ろから腕をつかまれたまま階段をのぼった。2階の部屋に入った。 部屋は古い作りで質素だ。冷蔵庫はあるが、家具や道具らしいものがほとんど見当たらない。生活感のなさに異様な気がした。 アイーシャは後ろ手にドアを閉めた。見るとドアノブには内側にも鍵穴がある。アイーシャは内からカギを差し込み施錠した。 「ゆっくりお話しましょう。しばらく会えなかったから」 「まいったな……。今日は無断欠勤だよ……」 「凛音、あなた今日からここで暮らすのよ。会社にはもう行かなくていいから」 凛音はおどろいた。 「はぁ!? アイーシャ、そんな子どものような聞き分けのないことを……!!」 「聞き分けるのはあなたのほう……」 アイーシャは音もなく銃をかまえた。暗い銃口が凛音を見つめた。 凛音は頭から血が抜ける気がした。 「……わ、わかったよ! だから、落ち着いてくれっ!!」 「落ち着いてるけど」 そういうとアイーシャは、胸のポケットから鎖のようなものを取り出して凛音の足元に投げた。手錠だった。 「着けなさい。それとも着けてほしい?」 「こんなの正気じゃない……」 「あなたが素直になれば、私たち仲良くしていけと思うの」 凛音は手錠をひろう。慣れないながらも両腕につけた。 「これでいいかい」 「よろしい」と、いってアイーシャは銃をおろした。「どうせあなたの家はわかっているのだから、逃げようとしても無駄だけど」 凛音は家族のことを思うと情けなさで身が縮む思いだった。 「家族は巻き込まないでくれ……」 「そんなつもりはないわ。あなたが聞き分けてさえくれれば」 「……わかったよ。君が、それで納得してくれるなら、僕は言うことを聞くよ……」 「あなたのやさしいところ、好きよ」 アイーシャは勝ち誇ったように微笑んだ。「私は仕事があるから行くわ。あなたとの生活を続けるにも、いろいろと入用だから」 「僕の預金口座に貯えがあるけど……」 「あなたに負担をかけたくない。何より、あなたにもう逃げられたくないから……」 「は、はは……」 「その部屋に入って」 アイーシャが半開きのドアを指した。布団以外の荷物が何もない部屋だった。窓はあるが、太い鉄の格子が内からついている。 凛音はいった。 「こんなところに僕を閉じ込めるのか……」 「私が帰ってきたら少しは自由にしてあげる」 「自由、ね……」 「閉めるわね」 ドアが閉められ鍵がかかった。ドアノブには、玄関と同じく内側にも鍵穴がある。 ドアの前に大きなものが置かれたような音がした。 アイーシャはいった。 「すべてのドアと窓には鍵がかかっている。出ようとしても無駄よ」 「不自由で仕方ないよ……」 「少しの我慢よ」 アイーシャは弾んだような声でいった。 玄関のドアの閉まる音がした。アイーシャは部屋を出ていった。 アイーシャは部屋を出た。 うす暗い通路。壁にもたれかかるように黒ずくめのネコミミが立っている。アイーシャの協力者だ。 協力者はいった。 「首尾はいいようだな」 「お陰さまで。仕事は今日中に変えるわ。日本を出るまでに足がつかないようにしないとね」 「海外移住の件は、こちらでも進めている。あと数日はかかるようだ」 アイーシャは安堵していった。 「助かるわ。何から何まで……」 協力者は口の端を上げた。 「こんな辺境の星であてのなるのは同郷の絆だけだ」 「もう行くわ。まわりに怪しまれないよう」 「警察が動くはずだ。これからは連絡も最低限にしよう」 「あなたも気をつけて」 アイーシャは協力者と別れて職場に向かった。 その夜、帰ってきたアイーシャは時間をかけて夕食をこしらえた。 ローソクの灯りだけに照らされた食卓。不相応なほど豪勢な食事が並んだ。 「あなたとはじめて行ったレストランのメニュー。見よう見まねで作ってみたんだけど……」 「すごいよ、アイーシャ。大したものだ!」 「あなたにもあの時の気持ち。思い出してもらえるかと思って……」 アイーシャは、はにかみながらいった。 この可愛らしい娘に自分は脅かされ、監禁されているのだ。そう思うと、凛音は頭がおかしくなるようだった。 しかし、今は話を合わせるしかない。彼女もそれを望んでいるはずだ。あるいは、アイーシャは本当はそれだけを望んでいたのだろう。 凛音は、ワイングラスの深い赤色をながめながらいった。 「あの時、君は慣れないワインを飲んで……」 「歩けなくなって、あなたに介抱されて……。それで……」 「……」 ローソクの灯りの食卓では、ゆっくりと時間が過ぎた。 凛音は、生まれて初めて手錠をしながら夕飯を食べた。アイーシャのフルコースは店で食べた味と遜色ないほどだった。 今後は、彼女の暴発をまねかないように注意しながら、解放の機会をうかがうしかない。 理沙や均は心配しているだろう。会社はどうなっているか。警察沙汰になることは避けられそうにない。 凛音は自業自得という言葉を噛みしめた。 父、凛音が失踪して3日が過ぎた。 すでに警察には届け出ていた。 しかし、父のスマホが道で見つかったという以外、これといった手がかりはなかった。 こんな時でも日常は続いた。 普段、父は仕事で帰る時間が遅かった。だから、均と母の暮らしは大きく変わったことはない。 しかし、今、家の中には大きな穴が空いてしまったようだった。 均はキッチンに降りた。テーブルには朝食が並んでいた。 母の理沙が椅子に座っている。口は半開きで目の焦点があってない。心労のせいか、いくらかやつれたようだった。 リビングにあるテレビの音だけがやかましかった。 「母さん」 「……」 たっぷりと間があいたあと、母はいった。 「あ、均。ご飯ね」 母は、炊飯器からしゃもじでご飯をよそった。 が、茶碗を持つ手に力がない。傾いた茶碗から、ポロポロと飯が落ちていった。 母は、ほうけたように宙を見ていた。 「母さん……」 ふいに、母はつぶやいた。「あの女のところにいるのかも……」 「母さん!」 母は目を覚ましたようにいった。 「あ……。ご飯ね」 均は思わず声をあげた。 「父さんのこと信じてあげようよ!」 「ご、ごめんなさい……。そうよね……」 「父さんは、確かに1度間違えたよ。でも、だからって……」 「うん……」 「今ごろ、助けがくるのをきっと待ってるよ! 俺たちが信じてあげなきゃ……!!」 「そうよね……。ごめんなさい……。ごめんね……」 母はうなずいた。その顔は悲しそうに見えた。 均は、母を責めてしまったことに気がついた。 「ごめん……。母さんは悪くない……」 テレビの音だけが鳴っていた。 その日の放課後。 均は、帰り支度をしている英代に向かっていった。 「英代! 雲ヶ丘ガーディアンの人たちにも協力してもらえないかな!?」 NPO法人〈雲ヶ丘ガーディアン〉の会議室では、代表の杏樹羅とリーダーの夏江來、メンバーのお姉さんたちが集まって均の訴えを聞いていた。 代表の杏樹羅(あんじぇら)はいった。 「よく相談してくれましたね。お父さんの話は英代さんからも聞いています。雲ヶ丘ガーディアンは、全面的にお父さんの捜索に協力させてもらいます」 均は、安心したようにいった。 「あ、ありがとうございます……」 杏樹羅はいった。 「今、日本で増えている問題が、既婚の日本人男性がネコミミ女性を選び、女性と子どもが取り残されるというものです。次に多いのが、男性が突然、行方不明になるという事件。ネコミミとの駆け落ちや誘拐など……。一部には犯罪組織のかかわる人身売買があるという噂まであります」 「父さんはさらわれたのかもしれません……」 「その可能性もありますね。我々でも調査しましょう」 NPOで事務を取り仕切る夏江來(かえら)はいった。 「僕たちや警察に任せて、お母さんには心配しないよう言ってあげてよ」 「ありがとうございます」 杏樹羅はとなりの英代にいった。 「英代さんにとっても他人事じゃないものね」 「……え? ああ、はい。そうですね」 均は考えるようにいった。 「女王にも、父さんを探すのを協力してもらえないかな……」 「女王!?」 会議室がザワついた。 「俺、女王のところに行って話をしようと思う。英代も一緒に来てくれないか?」 「まーた、捕まるんじゃないの……」 「だから、一緒に来てほしいんだよ!」 夏江來、「女王が僕たちに協力してくれるかな……」 「いいかもしれませんね」と、杏樹羅。「ネコミミ☆ジャパンの首相兼国王として、女王も行方不明事件の急増は認識しているはずです。均さんのお願いなら無視できないでしょう」 「英代、一緒に女王のところに行こう!」 「英代さん、均さんをよろしくね」 「はあ……。大丈夫かな……」 英代と均は女王の協力を得るため、首相官邸に行くことになった。 英代と均は、電車とタクシーを乗り継いで女王の官邸にやってきた。 受け付けで女王に取り次いでもらう。 すぐに黒服のSPを引き連れたネコミミ家臣があらわれた。 家臣はやってくるなり、 「山本英代、よくぞポチさまをお連れしてくれたな。これは足代だ」と、黒服のひとりが持っていた袋を足元に投げてよこした。 重い音がして袋の口が開き、大量の金貨があらわれた。 家臣はいった。 「その金貨は特別製だ。1枚、日本円で10万円ほどの価値がある」 英代は金貨の袋を拾った。とんでもない重さだ。 英代は家臣にいった。 「均に何かしたら、ただじゃおかないからね……」 「ん?」均が英代の顔を見た。 「じゃあ、均、私はこれで帰るけど、何かあったら……」 「帰るなよっ! 一緒に来てくれって言ったろ!?」 「でも……」 金貨は百枚以上はある。英代には、来月末までにほしいゲームが3つあった。 「でも、じゃないよ! 俺がまたさらわれたらどうするんだよ!!」 「その時は、またシロネコで……」 「その時も何も! これ以上、母さんに負担をかけられないだろっ!!」 英代は袋を家臣に突き返した。 「これは受け取れない。でも、どうしてもというなら……」 家臣は金貨の袋を英代からぶんどった。均に向かって深々と頭を下げた。 「ポチさま。女王さまがお待ちです――」 英代と均は、家臣の案内で国王室の前の扉まできた。 家臣が英代をにらみながらいった。 「おつきの者には、ここで待機してもらう」 「私も入ります」 英代の前に家臣は立ちはだかった。 扉の向こうから声がした。 「かまわん」 女王だ。 家臣がゆっくりと重い扉を開けた。 豪奢な洋室の奥で女王は待っていた。 「ポチ、よく来てくれたな。うれしいぞ。さあ、もっと近くに」 女王に前には来客用の豪勢なソファーとテーブルがあった。 均はいった。「女王、今日は頼みがあって来たんだ」 「うむ、わかっておる。まずはそこに座って、ゆっくり話をしよう。外は暑かったろう。冷たい飲みものも用意させたぞ」 テーブルには、高さ60cmはあるだろう巨大なグラスが置かれていた。中はブルーハワイのソーダ。果物やアイスクリームでトッピングされている。ハートの形をしたストローは、飲み口が2股にわかれていた。 均がソファーに座ると、女王も向かいに座った。 女王は何か落ち着かないようすだ。 英代と家臣は、ドア側のソファーに向かい合って座った。 家臣は顔を近づけて英代をにらんできた。 お互いにただならぬ因縁はある。が、それにしてもすごいにらみ方だ。顔が近い。鼻息が熱い。 英代は、気にしないように目を背けた。女王と均にはさまれた巨大なグラスを見ていった。 「あ、いいな。私も何か飲みたい……」 「……」 家臣はだまったまま、すごいにらんできた。 「今日、外、すごい暑かったから……」 「……」家臣はすごいにらんだ。 「水でもいいんだけど……」 家臣がすごいにらんだまま腕をあげ、パチンと指を鳴らした。 ――ドカンッ!! と、扉が爆発するように開いて、やたら体格のいいネコミミメイドがあらわれた。水に氷入りのコップがのったトレーを持っている。 目を引いたのはその体型だ。見せるためではない、使うために鍛え上げられた筋肉。それは、まさに肉の鎧だった。タイトなミニスカートからは鋼のような大腿筋が丸見えだった。 メイドはコップをつかむとテーブルに叩きつけるように置いた。 ――ドンッ!! と、衝撃でコップの水が噴きあがり、英代とネコミミ家臣は頭から水をかぶった。 「……」 家臣は頭から水をたらしながら英代をすごいにらんだ。 なんとなくニオイがして、英代はコップを鼻に近づけた。塩素のニオイだ。プールの水だろうか。英代はコップをテーブルにもどした。 女王と向かい合って座りながら、均は切り出した。 「女王、実は俺の父さんが行方不明で……」 「うむ。聞いておるぞ」女王は、なぜかそわそわしながらいった。「その前に飲み物はどうだ。キンキンに冷えたソーダがぬるまってしまうぞ」 均は、テーブルの巨大グラスを見た。ブルーハワイのソーダがあわを飛ばしている。 女王は心配そうな顔でいった。 「ソーダはきらいか? フルーツジュースのほうが良かったか?」 「い、いや。飲むよ」 ストローの飲み口をくわえた。ソーダは普通の味だった。 女王は、ほほを真っ赤に染めながら顔を近づけた。2股のストローの一方を口に含んだ。 女王の顔全体が発熱するかのように真っ赤に染まっていった。均は、女王から伝わる熱気を気にしないようにしながらジュースを飲み続けた。 そのうちジュースの表面が大きく泡立ってきた。女王が逆流している。 女王がぶるぶると震えだした。何かの限界が近い。 と、次の瞬間、グラスのジュースが間欠泉のように勢いよく噴き上がった。 天井まで舞い上がったソーダをふたりは頭からかぶった。 「ポチさま。これを……」 後ろから近づいた家臣が均にハンカチを手渡した。家臣は背中を向けて目のあたりをぬぐった。 「お父上の件だな」女王はハンカチで顔を拭きながらいった。「話は聞いておる。優秀な捜査官をそちらに派遣させよう。必ずお父上を見つけ出すよう善処させる」 均はいった。 「あ、ありがとう、女王……」 「当然のことだ」女王はハンカチをいじりながらいった。「お母上にも、女王の特別な力添えがあったと伝えておくのだぞ」 均と英代が帰ったあと、女王は執務室にネコミミ国務長官を呼んだ。 女王は執務机の椅子に身をうずめながらいった。 「そちのもとに優秀なことで知られる捜査官がおったな。ポチのお父上を捜索するために坂之上市に派遣してもらいたい」 「優秀ですか……」長官は言いよどんだ。 「なんだ?」 「いえ、優秀なものほど、時に使いにくいものではあります」 「……嫉妬か?」 戯れる女王に、長官は口の端を歪めた。 「まさか」 女王は口調を改めていった。 「今回の件、ポチの心をつなぎとめるためにも、絶対に失敗は許されん」 「お任せください。あやつには適任でしょう」 長官は深く頭を下げた。 その日は、女王が派遣する捜査官のチームが雲ヶ丘ガーディアンの拠点を訪れるという。 英代と均、夏江來は拠点の近くの道で捜査官を待っていた。 海に面する高台の道は、平日でも人や車の通りはない。 「本当に来るのかな」 「……」 夏江來は懐疑的だったが、均は身動きもせずに道を見ていた。 ジリジリと暑くなってきたころだ。遠くに、大きな黒いバイクが見えた。小柄なネコミミがまたがっている。 やがて、バイクは英代たちの前でとまった。 ミミのついたフルフェイスに黒いスーツ姿。ネコミミがバイクから降りた。ヘルメットを取ると、輝くような金髪と深海のような碧眼があらわれた。 ネコミミは英代たちに近づいていった。 「失礼。並木均さんとNPOの方たちですか」 均がこたえた。 「お、俺、並木均です!」 ネコミミはいった。 「申し遅れました。女王の命により派遣された警視庁特別高等課のセラフィム・ミケ・アルトリアと申します。均さんのお父さんの捜索に微力ながら協力させていただきます」 セラフィムはほほ笑んだ。ガラスの鈴が鳴るような声だった。 「ありがとうございます! 本当に……」 セラフィムはいった。 「警察では、均くんのお父さんは何らかの事件に巻き込まれたと見ています。NPOの皆さんと力を合わせて、お父さんを必ず見つけ出しましょう」 「は、はいっ!!」 均は、ほほのあたりを真っ赤にしていた。暑いのだろう。 夏江來はあたりを見回してセラフィムにいった。 「あの、おひとりで?」 「もちろん、チームでうかがいました。道が混んでおり、私だけ、このバイクで先行いたしました」 英代はいった。 「均のお父さんがどこにいるか、警察ではわかっているんですか?」 「それは、まだ……」 セラフィムはまゆをよせた。「警察では、凛音さんは何者かに誘拐されたと見ています。もし、監禁されているとしたら、わずかな時間でも惜しい。さっそくですが、これまでにわかっている捜査情報を皆さんにお伝えしたいのですが……」 夏江來がいった。 「ぜひとも。みんな拠点でお待ちしてます」 英代たちは拠点に向かった。舗装されていない道を歩きながらセラフィムが英代にいった。 「山本英代さんですね。お噂はかねがね伺っています」 「悪い噂ばかりじゃないですか?」 「王国の事情と、この件とはまた別です。均さんのお父さんをなんとしても見つけ出しましょう」 「はい!」 政府に近い立場でありながら理解のあるセラフィムの態度に、英代はうれしくなった。 岩山をくりぬいて作られたような雲ヶ丘ガーディアンの拠点は、まだ所々が未整備で、自然の岩壁がのぞいている。 会議室には代表の杏樹羅をはじめ、メンバーのお姉さんたちやニア博士、均などが集まっていた。 セラフィムは挨拶もそこそこにかばんから取り出した資料の束を机に広げた。メンバーが捜査情報を漏らさないことを前提に話しはじめた。 ネコミミの女の顔写真や経歴などがのった資料を示しながらセラフィムがいった。 「この女――アイーシャ・ミケ・ローリィは、行方不明事件にかかわる最重要参考人です」 一般人では知ることができない捜査情報に皆がおどろきの声をあげた。 「あっ、この人……!?」均が何かに気づいた。 「うん……」英代もうなずいた。 セラフィムは、まわりのざわめきが収まるのを待つといった。 「……言っても、よろしいですか?」 「はい」均はこたえた。 セラフィムはいった。 「アイーシャ・ミケ・ローリィは並木凛音さんの元不倫相手です」 NPOメンバーのお姉さんたちが、さらにざわめいた。こういう話が好きすぎるのだ。 「警察は、アイーシャが凛音さんを誘拐した容疑者だと見ています」 打って変わって会議室にはセラフィムの声だけがひびいた。 「調べによると、この女は事件当日まで市内のタクシー会社に勤務。事件当日の朝、凛音さんを車に乗せ、そのまま連れ去ったと思われます。かなり計画性のある犯行でしょう」 英代がいった。「犯人は捕まえられそうなんですか?」 「アイーシャが会社に伝えていた名前や経歴、住所などはすべて偽りのものでした。現状、わかるのは本名と顔写真だけです」 杏樹羅がいった。「難しいですね……」 「はい。手がかりは極めて少ない。しかし、容疑者が国外に出た跡がない以上、おそらく、犯人は凛音さん監禁したまま生活していると考えられます。地道な聴き込みなどによって容疑者の居住地域を絞り込みます。NPOの皆さんには、その捜査に協力していただきたいのです」 夏江來がこたえた。 「任せてください! そういった人探しなら、みんな慣れてますから」 ニアがいった。 「犯人の住処におおよそのあてはついているのですか?」 「車の走行距離から、坂之上市の近郊で降りたことは間違いないと思います」 「そういえば……」均がいった。「不倫相手の女はとなりの満州(みつす)市に住んでいるって聞いたような……」 セラフィムはいった。 「警察ではすでに近隣の市町村を中心に捜査を進めています。皆さんにはさらに範囲を広げて捜査にご協力願いたいのです」 その後、セラフィムを中心に捜査の手順が話し合われた。 やがて、セラフィムのチームも拠点に到着した。 ここにNPO法人 雲ヶ丘ガーディアンとセラフィムチームによる〈並木凛音行方不明事件 合同捜査本部〉が立ち上げられた。 ジャンル別一覧
人気のクチコミテーマ
|